【人間関係・恋愛】愛ほど過程を大事にするものはない【エッセイ】

エッセイ

 「恋」と「愛」の違いを知る人は意外と少ない。パートナーに「愛してる」と伝えるとき,それは果たして言霊となるほどに想いを込められているのだろうか。

 大学教授で精神分析学に精通していたかのエーリッヒフロムは,著書『愛するということ』で愛とは何より与えることと述べている。好き(というのは,相手の情報(その人の外見や趣味趣向,社会的思想など)を与えられ自分が良いと思う部分から好意をよせていくことだ。そこにネガティブな要素はおおよそ除外されるだろう。反対に愛するというのは,相手のマイナスな要素(家事が苦手,容姿が好みでないなど)があってもそれを受け止め,相手を生涯気にかけともに人生を歩むことだ。

 とても簡単にまとめると,恋は受動的愛は能動的ということだ。

 長い時間一緒に過ごすことは苦痛になることがある。人の善良さは基本意識的に行動しないと表れれることはないが,欠点や醜悪さというのは簡単に見ることができる。なぜなら,人は楽に生きたいと思う生物で,楽になることはあらゆる努力を怠ることと同義なのだ。パートナーと一緒に居続ければ楽になろうとして欠点となる要素が多く見られるだろう。それに嫌気がさして物理的に離れたくなることもあるだろう。

 そんな時にどのように歩み寄り,相手でなく自分がどう変わることができるか。相手の欠点は自分を映し出す鏡であり,お互いの愛をより昇華させるための素晴らしい素材なのだ。

 そのためには正直な気持ちを伝え,少しでもお互いに歩みよることも必要だろうが,やはりこの言葉を伝えるのが一番なのだと改めて思う。

 「愛してる」と。

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