【恋愛・生活】幸せに気づかぬ愚か者と,幸せと思える馬鹿者。【エッセイ】

エッセイ

 人は幸せを求める唯一の生物だ。喜怒哀楽をもつ生物は他にもいる。しかし,それは知能が長けているからこそもち合わせる感情である。基本的には毎日を生きるために狩りや食糧を集めたり,子孫を残すという本能に従ったりし,幸福を実現する活動ではない。それは明日生きることができるかわからないからであり,幸せを求めるほど余裕はないのだ

 対して人間は,大きな社会を構築したからこそよほどのことがない限りは明日死ぬわけではない。事故や病気,貧困を避けるための努力を続ければ寿命をまっとうすることができる。端的に言えば「幸せを求めることができる程度には人生に暇がある」のだ。

 実は幸せとはそこらじゅうに転がっている。美味しいご飯を食べた時,時間を忘れるほど趣味に没頭している時,愛する人と一緒に過ごしている時。1日を切り取ってみても幸せな場面はたくさんあるのだ。だが,多くの人はその時間を幸せと感じていない(と思う)。何故なら,それが人間における当たり前の営みであり,毎日繰り返しているものほど幸福感は薄れていくものだ。正確には薄れるではなく,幸福であると自覚していないだけなのだが。

 自分の人生に幸せを覚えないのであれば,どんなことも幸せに思えるほど馬鹿になってもいいじゃないか。不幸な出来事に直面することはあるが,不幸が人生を占める割合などごく僅かだ。毎日に幸せがあるのなら,不幸に振り回されることはないだろう。幸せ馬鹿であればあるほど,死ぬまでの長い長い時間を笑顔で過ごせるだろう。

 幸せに気づかぬ愚者でなく,どんな幸せも拾い集める馬鹿者になりたい

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