今回は,芥川賞候補作に選ばれた鈴木涼美(すずみ)さんの小説『グレイストス』をご紹介します。
読み終えた後には,あなたも自身の生活を振り返るかも??

簡単なあらすじ
仕事(性)での主人公の姿
主人公の聖月(せいこ)はアダルトビデオ業界で活躍するメイクアーティスト。17の時から化粧について学び,化粧の短期講座で知り合った講師に誘われて初めてポルノ撮影に同行して以来,この仕事を続けている。

元ある顔の欠点を隠して長所を目立たせるのが化粧のメリットだ。
AV女優の,聖月とほとんど年齢の変わらないような女たちの顔に触れているうちに,彼女たちの愚かしく美しい顔を,より美しく整えて,より愚かに壊してみたいという執着が生まれていた。
女優の肌質やアレルギーを確認して化粧品を選んだり,女優たちの彼氏や社長の愚痴などを聞いたりしてAV業界に溶け込んでいた。
規模の小さいスタジオから海外のプライベートビーチ,撮影場所は様々でそれなりの経験とメイクの技術を積み重ねていた。
私生活(生)での主人公の姿
都心部から1時間半かけ,バスを使い少し歩いた山中の古い家が自宅だ。父と母が離婚してからは祖母とその家で暮らしている。

玄関ホールがありそこには書棚が置いてある。応接間や地下室,野菜が育てられるほどの広い庭。外壁はレンガで屋根には玄昌石と,聞くからに古くて厳かな佇まいの家である。
祖母が作る朝食は必ず洋食。ピアノの習い事で生計を立てていた自称オペラ歌手だけあり,高い声は朝にも響き渡るほど。
そんな祖母だが,聖月の決断に対して何か責めたり意を立てる訳でもない。彼女との生活は居心地が良かった。
AV業界のメイクアーティストというあまり馴染みのない仕事に携わる聖月だが,仕事と生活の線引きがしっかりしているからこそ,それぞれの生活がより鮮明に明確に感じ取ることができる。
作者が描く「性」と「生」とは?
主人公が見たAV業界の「性」
性とは一般的に人がもつ性別,性癖,性行為のことを指す。
この話で特に強調されているのが,アダルトビデオにおける性だ。
アダルトビデオは,他人の性行為を様々なシチュエーションで見ることができ,出演している人間のあられもない姿が映されている。仕事に貴賎はないとはいえ,もし自分が関わるとなったら抵抗感を覚える人も少なくないだろう。

その業界をAV女優ではなく女優を綺麗に仕上げるメイクアーティストの視点で描くことで,AV業界に携わる人間が感じる性をより俯瞰的に知ることができるのだ。
様々な事情で女優の道を選んだ女性が多く登場する。借金を返すため,話の流れでなんとなく,そこまで込み入った事情でない女性もいる。
マイナスに見られがちなAV女優だが,全てがネガティブな事情ではないのだ。しっかりと大学を出た人間だって女優になっている。SEXを演じることも一つの立派な職業なのだ。
AV女優と認知して付き合っている男もいる。それはこの仕事が働き方の一つだからだ。それを否定しない男はとても寛容か,それともそこまで彼女に関心がないか,はたまた大金を稼いでくれるお財布程度に見ているか,そこまではわからないが。
主人公は女優に化粧を施す時しか関わることはないが,電子タバコを蒸す姿,バスローブから陰部がはだけていても気にしない姿,夕食の出前を注文する姿など,様々な姿を見ている。
AV女優も他の人と全く変わらず人間味に溢れている。主人公は彼女たちの性を否定するわけでも受け入れているわけでもない。ただ,存在していることを認知して自身の生き方を再確認しているのだ。
聖月が生きる私「生」活
仕事では都心部で活動することが多いが,仕事が終わったり休日を過ごしたりする時には,必ず自宅の様子が描かれている。
都会の様子とはうって変わり,鬱蒼とした自然に囲まれた古い自宅。環境が真逆な生活で,優雅とは言わずとも祖母との生活は多少の華があり時間もゆったりと動いている。まるでジブリ映画のワンシーンを切り取ったような,そんな様相を呈している。
そして,物語の書き方で特徴的なのは,仕事から生活,生活から仕事にシーンが切り替わる時に必ず一行空けられている。
小説の書き方としては,場面が切り替わるのだから当然と言えば当然なのだが,それぞれの場面では仕事の場面では仕事だけ,生活の場面では生活のことだけ書かれている。
それは,聖月の中で仕事と生活がほぼ完全に切り離されているからだ。
そうすることで,仕事の中に不純物になり得る生活の話を排除し,AV業界の姿を鮮明に描く。そして,生活の場面ではそれだけに集中させることで,同じ一冊なのにあたかも別世界を想像させようとしているのではないか。
だからこそ,祖母との生活が何にも汚されることのない世界になっているのではないだろうか。その生活に,聖月はある種の美しささえ感じているのではないだろうか。

グレイスレスの意味とは?
グレイスレス(graceless)の言葉の意味はこのようになっている。(参照:英字郎on the WEB)
〔人が〕無礼な、不作法な
〔物の外観が〕人目を引かない、不快な

マイナスな意味を含んでいる言葉だが,この小説のタイトルに起用されているのは何故だろう?
この小説のテーマは「性と生」だが,そこに綺麗も汚いもない,ただ人がそれぞれの人生を歩み,それぞれの性がまとわりついている。
AVというだけあり,性欲に塗れたような世界とそこに関わる人々に無礼,不快と思われるかもしれない。誰も口にはしないが,その印象をもつ人はいるだろう。
しかし,そんな世界を否定する人々こそグレイスレスをもっており,そんな読者のグレイスレスを取っ払う目的もあるのではないだろうか。
バイアス(偏見)は誰にでもある。それこそグレイスレスであり,日常に蔓延る思想に侵されているのは誰だろうか?
まとめ
芥川賞の候補作として店頭に並んでいた時,表紙の独特なデザインと帯のキャッチコピーに惹かれ手に取りました。本を開いてみたら,想像の斜め上の視点と仕事と日常の表現の仕方に脱帽しました。
これを読めば新たな思考が生まれるかもしれない?
興味をもたれた方は是非とも一度読んでみてください!