【本紹介】『自分は「底辺の人間」です』ー京都新聞取材班 人の命は無碍に奪われていいものではない。【エッセイ】

本紹介

 2019年7月18日、午前10時31分、その事件は起きた。世界的にも有名で数多くのアニメーション作品を生み出した京都アニメーション第一スタジオが、一人の男によって放火され、大きな被害を齎した。建物は全焼、負傷者34人(犯人を含む)、そして死者は36人もの尊い命が奪われた。

 犯人は青葉真司。当時41歳。犯行動機は、自分が考えたアイデアを盗作されたこと。盗作には何の確証もなく、その内容も「垂れ幕が下がっている場面が盗作された」「精肉コーナーで2割引の商品を取ったシーンがそのまま使われた」等、日常風景ではよく見かけるようなものばかり。それを盗作と考え犯行に至るには、あまりに幼稚で同情の余地がない。遺族の方々の苦しみは計り知れない。

 青葉の家庭環境ははっきり言って良くなかった。両親は離婚して父から虐待を受け、学校生活もうまくいかない。社会人になっても仕事は長続きせず、薬や行政に頼るほどの精神の障害を患ってしまう。そんな人生で自分を救ったのが、京都アニメーションの代表作「涼宮ハルヒの憂鬱」だった。こんな作品を自分でも作ってみたい、小説を書き上げることが青葉にとっての希望だったのだ。しかし、京アニにアイデアを盗作されたと被害妄想が膨らみ、犯行を決意する。無差別殺人を行うにあたって青葉が連想したのが、秋葉原無差別殺人事件を起こした元死刑囚、加藤智大だった。あの事件のように大きな被害を与えたいと考えたようだ。結果、社会に大きな傷跡を残し、事件から4年後の2024年1月25日に青葉に死刑が宣告された。

 青葉真司にどのような背景があったとしても、殺人によって自身の想いを晴らすことなど一切許されてはならず、情状酌量の余地はないだろう。誰もが憎き対象としかみていないであろう日本で、青葉と向き合う人間がいた。京アニのアニメーターを奥さんにもつ遺族の一人、寺脇譲さんだ。青葉によって奥さんを失い、息子と二人がこの世に残されてしまった。無論憎しみを抱えてはいるだろうが、それと共に寺脇さんは青葉を一人の人間として向き合い、青葉から謝罪の言葉を引き出すほどに変化を与えたのだ。自分であれば大切な人を殺した本人を目の前にして、果たして冷静でいられるだろうか。きっと自らの手で相手の命を断ち切りたいとさえ思うだろう。そんな思いを出さずに向き合えたのは、一人息子の存在が大きい。父が青葉を憎み続けたら息子も同じような感情を抱き、これからの人生にいい影響を及ぼさないとわかっていたから、寺脇さんは男として、父として、青葉と向き合うことができたのだ。

 同年2019年4月19日、池袋で当時87歳の飯塚幸三が運転した車が母子を轢き殺した事件の遺族、松永拓也さんも、大きな憎しみを出さずに、飯塚が死ぬまで向き合い、飯塚の死去に対しても「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしている。残された人間の尊厳と意思には敬意を表さざるを得ない。

 この本には、事件の概要とその背景、残された遺族の苦しみや、メディアの取り上げ方の懸念等が書かれている。このような事件は風化させずに社会が記憶し続けなければならず、それを思い出すきっかけとしても、多くの人に読んでもらいたいと私自身が感じている。

 苦しみだけじゃない、遺族の戦いと社会の向き合い方が理解できる一冊だ。

自分は「底辺の人間」です 書影

自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件

著者:京都新聞取材班

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