別にまだ死ぬような歳じゃないし,自身の最後を考えることなんてないか・・・と思っていたら,明日交通事故に遭って命を落としているかもしれない。死について考えることにグッドタイミングなんかあるわけない。ならばこそ,今考えてみてもいいのではないか。
はじめに思いついたのは「最後の晩餐」キリストを囲って食事をとる絵画のことではない。自分が最後に何を口にしたいかということ。

私が最後に食べたい食事は,地元中華のラーメンと中華丼だ。
あっさりだしの醤油スープにちぢれたもちもちの麺はいつ何度食べても飽きることを知らない。中華丼は,程よく甘く飴色に輝くあんに絡む野菜や海鮮類などがお米と絶妙なマッチングで溶け合っている。私と家族が昔から通っている町中華のお店だから贔屓目があるのは否めないが,世界一美味しい料理たちと豪語させてもらおう。
最後の晩餐だから,豪勢な料理にしなくていいのかって? 全くもって問題ない。確かに,高級な食材を使ったステーキや焼肉,寿司などは誰もが舌鼓を打つものだろう。しかし,だからこそ逆に最後の晩餐にふさわしくない。
最後の晩餐たらしめる食事とは,料理を通してこれまでの人生を回顧できるものだと思う。思い入れの深い料理ほど誰かと食事しているものだ。それを味わうときに思い浮かべるのは,自分の胃袋が満足できる味付けと人との思い出だ。誰かがいたから美味しい料理に出会えた。誰かがいたからその料理を最後に味わうまでの人生が豊かなものになった。素晴らしいものとの邂逅は何も人だけでなく,料理にも当てはまるということだ。
最後の晩餐がより味わい深いものにするために,私はこれからもそのお店に足繁く通い,誰かにラーメンと中華丼を勧めるだろう。