【生活・暮らし】過去の記憶に才能は埋もれている【エッセイ】

エッセイ

 あやとり、けん玉、昔の遊び。そこで才能が開花しているかもしれない。過去に才能は埋もれている。掘り起こせ

 子どもの頃に友だちとよくやった遊びがある。ベイブレードだ。自宅の庭にスタジアムを置いて、自分のコマをひたすらに回し、出るはずもない必殺技を叫びながら楽しんでいた。同じことの繰り返しのはずなのに、時が経つのも忘れ、空が茜色に染まり出してから現実に引き戻される。友だちが荷物を持って帰路につき、自分はおもちゃの後片付け。片付けの時間が、世界で一番楽しんだと主語が大きくなるほどに浸っていた。

 大人になり、当時使っていたベイブレードを見てみると、スタジアムは穴が虫食いのように空いており、ベイブレード本体はカケと擦り切れの数々。それさえも懐かしく愛着感情を呼び起こしてくれる。おもちゃを壊れるまで使い果たすことで、世界で唯一無二の存在となり、おもちゃに子どもの記憶と感情を刻み込んでいたのかもしれない。

 ここまで一つのことに没頭できるのは子ども特有の思想だ。子どもの脳は未発達。世界への理解や感情の整理など、大人と同じようにはできない。視野が狭いからこそ、目の前のことには驚異的な集中力をもって取り組むことができる。

 我々大人は今、時間を忘れるほど没頭できるものがあるのだろうか?

 大人は常に何かに追われている。家事育児、仕事の締切、顧客接待などなどなど。好きなことへ没頭する余裕はないのでないだろうか。社会が作り出した労働の価値観、理想の家庭像に縛られている。社会のしがらみから一度解放され、心の赴く方に身を任せてみてはどうだろうか? 一日、いや1時間でいい。カフェでもサッカーグラウンドでもゲームセンターでもどこでもいいし、なんでもいい。なんでもやれることから自分の才能、人生の刺激というのは見つかるものなのだから。

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