スマホの悪魔,という言葉を聞いたことがあるだろうか?
これは,現代人がいついかなる時もスマートフォンが手放せない現実を揶揄した言葉として,欧米を中心に広がっている。
・・・・・というのは嘘だ。これは私が考えた言葉にすぎない。しかし,そう呼びたくなりたいほどに,我々はこの人類の叡智の結晶に縛られている。
この悪魔は日常生活のどの場面にも潜んでいる。食事をしている時や通勤時,トイレで用を足している時,お風呂に浸かっている時などなど。多くの人間が,悪魔の「使ってほしい」という囁きに耐えられず,TPOをわきまえずに使用していることだろう。
スマートフォンは先進的で画期的だ。パソコンを開かなくてもインターネットで調べ物はできるし動画も視聴することができる。音楽を聴くことができれば商品の支払いなど財布いらずの機能も有している。今まで音楽や調べ物は他の機械を使っていたのが今やスマホ一台で済んでしまう。しかも軽量で持ち運びにも適している。テレビの情報も当てにならない昨今,Xなどから知るべき情報を集めるのは良いことだろう。
しかし,スマホが及ぼす影響は喜ばしいものばかりではない。
スマートフォンには強い依存性がある。なぜなら,YouTubeやTikTok,スマホゲームなどのコンテンツによって,手軽に満足感,充足感が得られるからだ。努力をしなくても内面的に満たされてしまう。果たしてその姿は自分が思い描いていた自分なのか?
自分をスマホの悪魔から解放するため,一度顔をあげてみよう。目の前には何が見えるだろうか。多くの人が行き交う街の雑踏? 田んぼや畑が広がる田舎の原風景? どんな光景でも,それが自分が今生きている現実であり,大切にしなければならないものなのだ。
画面ばかり見ていたら,大切な家族や恋人,友人までも見逃してしまうぞ。そんな思いを胸に秘め,私はパソコンの画面で文字を綴る。