昨年,家庭の事情でチリに赴いた。南米にあたる国で,日本から見たら文字通り地球の反対側だ。山脈に囲まれるように首都のサンティアゴを含めた街々が広がっており,街路樹も一本一本丁寧に植えられ,自然と共生しているような環境に植木屋として心が打たれた。
街ゆく人々と目が合えば笑顔を見せてくれ,初対面であってもフレンドリーに接してくる姿にこちらも心穏やかになってもいた。そして何より,国民がお互いを尊重しあっているように感じた。ともにチリという国に住んでいる家族のように相手を思いやり,食事などの生活を楽しんでいるようだった。
自分は何故そのような印象をもったのだろうか。それは街を見ればわかることだった。至る所に国旗が掲げられているからだ。どうして国旗の掲揚がイコールになるのか? 何故なら,常に母国を感じることができ,その国で暮らしていることに幸せを感じているからなのだと,今日の日本と比較すればそう思わずにはいられない。

国旗とは国家の象徴。国を代表し,国を表す印。それがチリでは公共施設だけでなく国民の自宅にも掲げられているのだ。一軒家の屋根やマンションのベランダ,貧民の古い家々にも多く見られた。それほどまでに国を愛し,いつでも身近に母国があることをチリの人々は知っているのだ。
日本で国旗を掲げている場所といえば,私はどうも市役所や警察署,消防署などしか思いつかない。少なくとも,日常的に揚げている民家はほとんどない。学校では卒業式のような儀式的行事の時にしか見せることはせず,普段はどこかの部屋に厳重に保管されている。
これは邪推だが,政府が日本国民の力を弱めようとした結果なのではないだろうか。これまで世間話で政治の話をしようものなら,それだけで政治的思想に偏りがあるのではと疑われる。一般家庭で国旗を揚げようものなら,ご近所からどんなことを言われるかわかったものじゃない・・・・・・と,いうような思考が生まれてしまっていることは否定できない。現政府の国民を全く顧みない政策を見ていると,本当にそうなのではと感じてしまう。
先日Xにて,いつも国旗を揚げていることを指摘され,その意見を歯牙にもかけず掲揚し続けてるとある酒蔵があることを知った。本当に素晴らしいと思う。これこそ日本を愛し日本の文化の一つである日本酒を守ろうとする国民の姿だと尊敬してしまった。「どこぞの国家の反感を買うから国旗は伏せたほうが良い」などという人間は,もはや日本国民ではない。相手の文化を尊重しない他国の顔色を窺うよう必要はないのだ。まさに今の自民党にも全く同じことが言えるのだが。
勝手ながらその酒蔵に敬意を表して,こちらの記事でもそちらのHPを紹介させていただきたい。インターネットという膨大な海の中,この記事を見てくれた方々には,国旗の重要性とその酒蔵の愛国心は知っていただきたい。