【社会・文化】ダイバーシティ(多様性)を免罪符にして,私利私欲を肥やす人間に同意する思想など存在しない【エッセイ】

エッセイ

 昨今の世界ほど,ダイバーシティ(多様性)を盾に好き放題している人間が蔓延る世の中はないだろう。

 人種や文化に関わらずそれぞれの姿や考えを尊重しようというポリコレ(ポリティカル・コレクティブ),ルールが守れずに注意をするだけで差別と訴える外国人,自分の性を好きなように名乗って良いことにする選択的夫婦別姓

 それらの主張をまとめてしまうと,多様性を認めろということだと思う。

 確かに,頭ごなしに相手の考えを否定することは良くないだろう。何故なら,自分の思想が間違っていた場合に気づくことができず,まさに誰も受け入れない凝り固まった人間になってしまうからだ。まずは相手を受け入れて,その上で自分の考えを主張するのが良いだろう。

 これまでの自分ならそう言っていただろう。

 しかし,この現代,多様性を認めるわけにはいかないものが増えすぎてしまった。その大きな理由を簡潔に表すと,多様性を利用して,私利私欲を満たして他者を貶めている人間が蔓延っているからだ。

 ポリコレは,もともと白人だったキャストを黒人にすることで新たな認識をもたせたいのだろうが,元の作品を蔑ろにするものが多い(主ににディズニー作品だが)。

 自分の主張だけを繰り返す外国人など言語道断。その土地のルールや文化を尊重しないなど,それはただの暴君のやり口だ。そんな人間を誰が受け入れるのだろうか。

 選択的夫婦別姓。数年前まで全く馴染みのなかった言葉をよく聞くようになった。夫婦別姓にすることでその人間のルーツがわからなくなる。その人間の国籍がどこかもわからなくなる。身近な人間を騙し,スパイとして活動する人間が出てくる。そんな制度を推し進める政府はもはや日本人ではないだろう。

 今の世界はまさにカオスだ。力をもつ人間が好きなようにこの世を動かし,他の人間はお構いなし。それに立ち向かう力をもちあわせなければならないが,まだまだ認識が脆弱であるのと,そのように教育されてしまった結果ではあるだろう。

 多様性はあってもいい。色々な人間がいる分世界は面白くできているのだから。だがそれは,他の多様性を攻撃しないことを前提としていることを忘れてはならない。         他を傷つけるようなものはもはや見て見ぬ振りはできない。

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