人生には目的が必要だ。生きる目的が。約80数年の寿命の中で自分は何を目的に生きているのか。今まで考えたことがあるだろうか。大金持ちになる? テレビに出て有名人になる? 人類史に名を残すような偉大な発明家になる? 目的をもって生きて実現できる人間はどれほど存在するだろうか。きっと1%にも満たない。皆が目的・目標を掲げたところで夢物語として諦め,自分の都合の良いように妥協案で納得する。自分が気持ち良くなるために。
目的を達成しなくていいのか? その目的のために自分は生きていたのではないのか。自問する中で苦悩が生まれるかもしれない。結論,目的なんてもたなくてもいいし,もたなくても生きていくことはできる。そんなことを考えられるのは,人間が暇をもて余しているからだ。
野生動物や縄文時代の人類はその日を生き抜くことで精一杯だ。他の生物に命を奪われる可能性があったり,食糧が枯渇する可能性もあったり,明日あるかわからない人生だったからこそ他に楽しみを作る時間がなかった。

しかし,少なくともその日の衣食住は守られ,命を狙われる危険など普通に暮らしていたらありえない社会(増税や悪政は置いといて)が形成された今,他のことを考える時間が多くあるわけだ。そこで思いついたのが生きる目的,夢と言い換えることもできるだろう。
目的が見つからない人もいるだろう。何かを成したいわけじゃない,お金が少なく生活が苦しい人もいるだろう。別に大層な人生を送る必要はない。なぜなら,人は自ら望んでこの世に生を受けたわけではないのだから。
両親との愛情のもとに生まれた命は数えきれないほどあるが,自分が生きたいから生まれた赤ん坊はいない。そもそも,生まれるまでそのような考えなどもつはずがないのだから。無論,その後の人生で楽しいこと・嬉しいことに出会い,自らを心身ともに成長させていく。しかしながら世は無常,楽しいことよりも苦しいことの方が多いのが現実だ。
悩まされ苦しんで,心が折れて自殺を試みる人もいる。だから,生きているだけで十分なのだ。他人に大きな迷惑をかけない限り,人は生きているだけで素晴らしいのだ。

 
  
  
  
  
