先日,友人と富士山を登山した時のことだ。
富士山とは言わずもがな,日本で一番標高の高い山であり,日本における地上で一番高い景色が見られる場所でもある。その景色を一言で表現すると「壮観」である。

足の裏から伝わる粗々とした山肌。険しい傾斜を登るために地面に手をかけると肌を傷つけようとしてくる。山頂にたどり着くまでには何時間と登らなければならない過酷な時間。山が人間に登山の猛威を震わせるからこそ,完登した時に見る景色が素晴らしいのだ。富士山からの景色が壮観なのは,高い場所ゆえの広大なパノラマであるだけでなく,それを自身の目で見るまでの苦労があるからなのだ。
ただ一つ疑問なのが,登山とは自然との戦いと言えるのか?
街並みの喧騒を離れ,コンクリートジャングルから断絶された自然環境に身を置き,普段感じられない自然の偉大さを目にするのは良いかもしれない。しかし現在の富士山は,人間に管理された人工物で観光資源の一つでしかなくなっている。
何故なら,登山ルートにロープが張られあまりに明確であり,合目間隔で山小屋が設置されており,何より1日たりとも人間の目から離れることがないからだ。

登山は危険と隣り合わせ。だからこそ人間の手を加えて安全を確保する必要がある。山も観光資源である限りはお金を生む。より多くのお金のために人間が管理するのが一番良い。誰もが気軽に登山(自然)を楽しめることができる要因にはなっている。
それが悪いとは言わないが,果たしてそれが富士山の本来の姿なのかと問われれば返答に困るだろう。
これはあくまで自然回帰主義だ。自然は簡単に手を加えずに本来の姿になっていくべきだという主義の主張だ。
まあ私自身がその考えを強く主張したいわけではない。そんな考えをもつ人間もこの世には存在しているということだ。