今回は三島由紀夫の不倫小説,『美徳のよろめき』をご紹介します!
そもそもこの物語はただの不倫小説なのか。そして主人公の美徳とは一体どんなものなのか。出版されてもう60年以上も経っています。
ですので,読破した後に感じた私の考察を交えて紹介していきたいと思います!

あらすじ(読み終えた人は飛ばしても大丈夫!)
不自由ない生活に美徳を見出せない節子
主人公の節子は,社会的地位の高い父親のもとに生まれ,幼少期は何不自由なく暮らしてきた。ウィットはもち合わせてはいないけれどだからこそ上品な一族であり,節子の音楽や服装の趣味は洗練されていて,会話の機智は欠けているが言葉の回転の速さや言葉遣いは育ちの良さを感じられるものだった。

良人(夫)との間には幼稚園に通う幼い菊夫がいて,側から見たら誰もが思い描く理想的な家庭を築いているように見える。良人も悪い人間ではないし,夫婦としての会話や性のスキンシップは取るけれども,どこか心には乾きを覚えていた。男の野心や仕事への情熱,精神的知的優越など,男が漢たらしめる要素にはなんの魅力も感じず,そこに精を出す男はむしろ滑稽とさえ思っていた。
そんな中,結婚前に良人以外の男と一度だけ接吻した男の存在が,節子の人生にはっきりと輪郭をもって現れた。それが土屋だ。
土屋という美徳の証明者
土屋は結婚後も度々偶然にも顔を合わせた。舞踏会や街のレストラン,喫茶店,駅の待合室など偶然にしては回数が多かった。良人と出席した舞踏会でも出会い,そこで土屋にこう言われた。
「一寸話があるから,明日の午後3時に,節子の家の近くの駅のプラットフォームで待っている」
その約束を節子は反故にした。約束の場所をへ行かなかったことに憤慨し土屋が家まで押しかける勇気があるのか試した。そして土屋は家に来ることはなかった。節子は土屋を軽蔑した。と同時に,自身が土屋に恋をしていることを自覚したのだった。

節子は土屋と微妙な恋愛をしているのではなく,決して許されない道徳的な恋愛,空想上の恋愛を始めようとしたのである。後ろめたい逢引きではなく,真面目な付き合いなら良人も許してくれるとのことだった。
何度か会ったがすぐに体を重ねるわけではなく,お茶をしてあとは土屋は自分の用事を済ませるために帰宅する。その繰り返しの後,性を共にすると節子は思った。
「この人なら,私の『道徳的な恋愛』は上手くいきそうだわ」と。
とある日,体の不調を感じ産婦人科で調べてもらうと,節子の中で新しい命が芽吹いていたことがわかった。しかしその子どもは土屋ではなく良人との子どもだった。
この受胎を受け入れるということは,土屋との逢引きの終焉を意味している。腹が大きくなるにつれて逢引きは滑稽なものとなり,長い疎遠が生まれて恋が終わる。そして,正真正銘良人との子が生まれる。
節子は自分の運命に身を委ねること,つまり自分の考えている通りに行動することがどのような結果を生むかを理解した。初めて接吻されたあの一瞬で子どもが生まれれば良かったのに・・・・・。
節子は誰にも言わずに子どもを中絶した。
土屋との逢引きによる心の渇き,そして別れの決断
節子は自身の恋愛的情動に身を任せ,土屋との逢瀬を重ねていった。しかし,節子の肉体と土屋が深く結ばれていると思えるのに,孤独も節子を包んだ。身を隠す場所もなく,安息の場所も,隠れ家も,心を休める一隅も,この世界からすっかり失われてしまっていった。
逢瀬のたびに土屋との話題は乏しくなっていく。沈黙があると節子は土屋に話題を提供するが,「もうその話は聞いたよ」と以前にした話をまたしていくほどに,二人の関係,いや節子が恋愛に対する感情に乾きが生まれていた。
節子は旧友からしばし悩みを打ち明ける老人の名を伝えた。松木という男性で,様々な国の裏面に通じて政治にも関わっていたそう。旧友に頼んで紹介状を書いてもらい松木に会うことにした。

松木は真摯に節子の悩みを聞き,土屋という男の恋愛に対する人間性を多少なりとも理解しているようだった。しかし節子は考えた。松木が教えてくれたのは男の思想であって女の思想ではない。そんな性別を超えないものを参考にすることはできない。
その後,節子は父親と会食することになった。父は気品も高く穏やかな人柄だった。もし他人の罪過が降りかかれば,自らの不徳の致すところと思い,潔く身を引くような人物だった。そんな父に節子は聞いた。「もし,お父様の周囲に不貞や不始末なことが起きたら自殺なさる?」父は答えた。
この言葉に節子の心に様々な感慨を巻き起こした。節子は新聞記事にされるような女ではない。平和で明るい道徳的な一族。欲望や退屈に苦しめられない心,不真面目な事に身をかけたりしない堅実さ,それは節子そのものでもあった。
節子は土屋をはっきり別れる決心がついた・・・・・。
土屋と美徳の別れ
久しぶりとなる逢引き,そこで節子は土屋に完全に別れることを告げる。涙を流し,土屋の胸の中で節子は自身の物語を語った。土屋は終始黙って聞いていた。
その日は逢瀬をせずにお互いに語り合った。これが最後だと自覚しないように普段通り。その日の土屋は医者のように優しかった。それでも節子の決断が揺らぐことはなかった。
ホテルを出てタクシーを呼んだ。そこで正真正銘最後の接吻を交わす。そのタクシーに土屋は乗せずに一人乗り込んで走り去る・・・・・。それが土屋と過ごした最後の時間となった。
節子の決断は正しかった。正しいと思い込もうとしていた。土屋がいなければ良人と菊夫,父親など多くの人を傷つけることはない,正しい世界であるはず。しかし,土屋のいない世界は泣こうが叫ぼうがこだまの返ってこない世界で,とても孤独だった。
別れて数ヶ月後,土屋と連絡しない約束を破り節子は手紙を書いた。土屋のいない世界のこと。節子も土屋を愛していたこと。楽しい時間の数々を与えてくれたことへの感謝。
その手紙はポストに入れられることはなく,二つに裂かれてゴミ箱に散っていった。
節子と土屋の二人の人物について
節子とはどんな人物なのか?

主人公の節子は上品な一族に生まれたことで,礼儀作法や一つ一つの所作が美しく,女性としてある種の理想像をもたれるような人物だろう。故に男性との恋愛経験が乏しかった。誰かを真剣に愛することも,失恋も,一夜の過ちを犯すことも。
節子は昔ながらの箱入り娘なのだろう。親の愛情を受け取り一族の恩恵も受けている。だからこそ,会話の中の冗談のようなアドリブができないような浮世知らずな人物なのだろう。
逆に,浮世知らずだからこそ良人には良き妻として,息子の菊夫には良き母として努めようとした。その姿は素晴らしいことだ。
だからこそ,土屋という存在は節子の思想を大きく揺るがしてしまうのだ。
土屋とはどんな人物なのか?

土屋は不得要領で,純潔で狡そうな人間だ。
少年のような笑顔を見せるときがあれば,逢引きなのになかなか性交渉までもっていかないこともある。真っ裸で食事をとる妙な癖もある。
人間じみているが,節子が今まで関わらなかった新しい人種であり,それがとても新鮮だった。
当初は節子が結婚する前に避暑地で出会った同い年の青年であり,そこで知り合った程度の仲だ。出会いの様子は具体的に書かれておらず,ただ接吻したことくらいしかない。
接吻はただの一度で,ほんの一瞬で,しかも稚拙であり上手なキスとは言えないだろう。それがかえって節子の神聖化された接吻の形であり,良人とキスを交わしても必ず土屋とのキスに応用する空想に囚われてしまう。
この序盤で僅か数ページしか物語が進んでいないにも関わらずこの場面が書かれている。
節子の美徳のよろめきはすでに始まっていたのだ!
土屋の心理描写が全くないのはなぜ?
舞踏会やレストランなど数多くの場所で偶然出会った。果たして偶然だったのか,土屋が節子を見つけるために街中を練り歩いていたのかはわからない。が,私は節子が思う以上に土屋が節子を愛していたからこその行動ではないかと考える。
そう考える判断材料が,土屋の心理描写が全くないことだ!
この物語は,節子の心理描写が緻密に書かれている。節子の土屋に対する思いや節子が思う美徳,様々だ。しかし,土屋の心が読める描写が行動のみで実際にどう思っているかは全くわからない。
それは我々読者に土屋の意図を読ませず,節子の美徳がどのようによろめくのかにフォーカスしているからだ!(と思う・・・・・)
初めて避暑地で会って接吻した。その下手さ加減から土屋もそこまで女性経験がなかったと考えられる。だからこそ節子を強く思った。街で節子が何度も土屋を見かけたのは,土屋がストーカー行為を行なって偶然を装って節子に再会していたからなのだ。
そして,土屋は節子に対しての思いは本気だったからこそすぐにセックスをしなかった。また,自分から連絡せずに節子の連絡を待っていたのだ。
節子が松木という老人に相談した時,このようなことを言っていた。
人を愛さない男こそが精神的にとても強いことが語られている。それは愛さないということは愛されることにも期待せず,愛がないから裏切られても傷つくことはないからである。
しかし,節子はこれを男の思想だと考えあまり参考にすることはなかった。それはきっと正しい。
節子は最後の別れでこんなことを言っている。
それに対して土屋はこう答える。
この言葉は土屋の本心だと私は思っている。行動の一つ一つは節子のように惰性や怠慢はあったかも知れないが,土屋は土屋なりに節子への愛を示そうとしていたのだ。
節子の「美徳」とは一体何?
「美徳」とは、優れた品質や善良な性格、高潔な行いを意味する概念です。道徳的な価値観に基づいて、善良であるとされる美しい徳目のことを指す。
節子の行動の美徳を否定する場面がある。それは,土屋との逢引きが始まったが,良人に向ける行動に美徳を覚えてしまった場面だ。
美徳の本質は相手が望んでいようがいまいが,相手に良いと思う愛情や優しさを与えるものである。そう考えている。
そう考えてはいても,土屋との逢引きを止めることはできない。いやそう簡単にやめるつもりもなかっただろう。何故なら,しっかりと相手を愛することができるならそれは道徳的な恋愛を言えるからだ。例え自分に良人がいたとしても。
だから土屋との逢引きは不倫であって不倫でないのだ! 少なくとも節子にとっては。

しかし,土屋とのマンネリや松木との会話,父親との会食など様々な人の行動や考えに触れたことで,道徳的な恋愛にも不信感を覚える。
道徳的な恋愛であっても美徳とはかけ離れているからこそ,美徳が常に揺らいでいて節子も苦しみ続けるのだ。そして最終的に土屋への手紙を書いても送らないところを見るに,彼女はこれからもその美徳に苦しみ続けるのだろう。
まとめ
私は三島由紀夫が大好きです。日本浪漫派に注力し,日本男児と呼ぶに相応しい格好良い男です。そんな男だからこそ,主人公が女性であっても女性の考えを理解し,まるで日本で起こっている不倫の実情の一つだと思えるような描き方ができたのではないかと思います。
そして,三島特有の気持ちの表現の洗練さに心打たれ,自分自身の美徳とは何なのかを問うことができました。
不倫の話題が尽きない今日,それがとても美しく儚いものであるかのような錯覚に陥ることのできる一冊です。まだ読まれたことのない方は,ぜひご一読ください!