【本紹介】『憐憫』朝日新聞出版 島本理生 日常のちょっとした不和が不倫を生む。

小説

 官能小説というものがあります。官能小説とは,性的刺激,性的興奮を催させる,性愛・性描写を主題とした小説(参照:Weblio辞書)ですが,一般的な小説の中にも性描写はよくあります。性愛はどの成人も抱えているもので,愛を求めるということはセックスを求めるとほぼイコール≒でしょう。

 今回紹介する小説は,愛を求め刺激を求め,ある男性と体を重ねた女優の物語,島本理生さんの『憐憫』について語らせていただきます。多少のネタバレを含みますので,それをご了承の上でお読みいただけたらと思います!

あらすじ

 主人公の沙良は,14歳で映画デビューを果たしている女優であり,年上のテレビ局ディレクターと結婚して今更27歳となっていた。他の道も考えたが,今更別の仕事ができるわけもなくずるずる女優業を続けていた。最近は全てに行き詰まっているからと魚々子に話したら,その発言を面白がって六本木の出会い系バーに連れて行かれた。そこで出会ったのが柏木という男だった。

沙良さんですよね。珍しいお名前なので,すぐに覚えました

 その声に夜を渡るような,爽やかな心地よさを覚えた。その日の夜はそんな他愛ない話をしてから連絡先を交換しただけ。何か困ったことがあれば連絡先を変えればよい。その程度の軽い気持ちで柏木とのつながりをもった。


  それからというものの,彼と居酒屋やバーで何度か食事をするたび,沙良は柏木のもつ独特の魅力に惹かれていく。堅実なスーツを身にまといビジネスバッグには仕事の書類がたくさんつまれているのだろう。会社の部署の仲間を大切にする仕事好き。だけれども,たまに急に消えて無くなってしまいたくなる時もある。物腰の柔らかさと爽やかさにいつの間にか柏木を求めるようになっていた。そして初めて体を重ねた時,セックスは快楽と共に楽しさを感じられるものなのだと初めて知った。

 情事を終えて彼に言った。じつは結婚しているの,と。

 それに対して柏木は微笑を含んで「正直ですね」と一言。

 「もう会いませんか?

 柔らかく訊かれた時,もう会わないだろうと思っていた。

 けれど,その後も彼との逢瀬は続いていく。しかし不思議と女優業では大きな仕事が入ったり,演技力が周りに認められたりして,彼女の生活には良い変化が訪れている。

 その後,沙良と柏木の関係はどうなっていくのか・・・・・。

この作品の魅力

 島本理生先生は,男女のもつ情動(リビドー)を描くのが本当に洗練されていていて,表現が秀逸なんです。作品を初めて読んだのは『Red』ですが,スターバックスで読んだときは後半から自身が興奮していることに気づかずに没入していたのが良い思い出です。

 『Red』が男女の情動と倫理の激しいぶつかり合いだとすると,
 『憐憫』は哀れさを含んだ男女の微弱な人生の波を描いていると例えてみます。

沙良という女

 この作品は沙良の一人称視点でずっと続いていきます。彼女は自身の置かれた状況を変えたいと思っていた。旦那から仕事に対してとやかく言われたくない,女優としてもっと大成したい。変えたいと思っていても変えられず,かといって実のところ変化することが怖くて,現状の変化を望んではいなかった。それが柏木という赤の他人が仕事だけでなく生活も変えていってしまう。その変化とは,物理的に変えていくのではなく,沙良の内面世界に刺激を与え,女性のもつ情動をさらに掻き立てていくことで,女優としての演技や容姿に磨きが掛かっていく。独り身が誰かと付き合うと,言葉では形容し難い微妙な変化を感じることがありますが,まさにこの変化が表れているのでしょう。

柏木という男

 物語に重要な人物が謎多き男,柏木です。

 出会い系バーでたまたま出会ったこの男。27の沙良より8歳ほど年上と言っているので,35歳ほどになりますが,三十路だと感じさせないほどの爽やかさと,既婚者だと分かりながらも抱き続けてくれる包容力に沙良も心が堕とされていたというしかないのでしょう。ただ,長い時間彼といることになっても,年齢と仕事以外のことは何もわかないのです。年齢と仕事くらいはわかりました。出張先がどこになっているのかも教えてくれます。他に趣味趣向は? これまでどんな人生を歩んできたのか,今現在どのような生活と環境下に置かれているのか,物語の終盤まで謎が続いていきます。それなのに,どうしてそこまで彼に惹かれてしまうのか。それは,現旦那の存在を対比させることで柏木の魅力を引き立てているのだと思います。

沙良の夫

 あまり重要ではないと思われるこの夫。決して悪い男ではない。テレビ局のディレクターなのだから収入が悪いわけではないし,DV癖をもっているわけではない。それどころか,深夜沙良がDVDを見て演技の参考にしているところを見て,台本読みに付き合おうとしてくれる優しい一面をもっている。優しさを感じられるこの男のどこに不満をもつのか。それは夫というよりも沙良自身の夫に対する印象が夫の存在を矮小化させているのです。

 夫は私が家にいて,共通の話題や誰にも打ち明けられない仕事の話を時には本音で語ることができれば満足で,私は夫から一度は確かに努力して成功しかけたという事実を純粋に尊敬されていることは感じていて,そのことに満たされてかけていて,逆にいえば,それ以上,求めるものがない(参照:『憐憫』島本理生 p74)

 

 沙良は夫に対してこのように述べています。夫からの純粋な尊敬が得られているのは確かだが,それ以上に夫には何も求めていない。つまり,人間としては素晴らしい人なのだが男としての魅力に欠けていると感じているのです。

 そんな思いをもっていた中に現れた柏木は,まさに自身のリビドーを満たしてくれる存在だったのでしょう。それは単にセックスだけでなく,自己を肯定してくれる包容力に心も満足してしまったのでしょう。しかし,それは沙良だけが感じていることなのでしょうか?

夫婦という死んでも未完成な関係の警鐘

 夫婦というのは,夫婦になった時点で永遠に一緒であることを約束されたようなもの。それは悪いように言ってしまえば,呪いです。嫌になってもその相手と一緒に生活しなくてはいけない。ましてや子どもが産まれてしまえば共に養っていかなければならない。それはきっとストレスにもなるでしょう。

 そんな呪いを解消するために,離婚という選択肢も国が用意してくれています。私は単に結婚が悪いと言っているわけではありませんし,現に私自身も結婚したいと思っております(私の今の状態は,つまりそういうことです・・・)。

 離婚という選択肢はあるけれど,あえて選ばずに今の生活を守るために共に生活する。それはお互いに愛するという努力を続けていっても,一緒は嫌だと思うことは一瞬でもあると思います。だから,夫婦生活にもきっと一定に刺激を与えてあげる必要があるのではないでしょうか。

 どうしてだろう。正しいことなど一つもないというのに,柏木さんと会った翌朝はどうしてこんなにも鮮明なのか。
 そして自分がどうしてか分からないほど,彼を必要としていることを悟った。
(参照:『憐憫』島本理生 p45)

 私が好きなこの小説の一節です。

 正しくないことはわかっている。こんな関係は決して続けてはいけない。けれど関係を切れない。続けていきたい。なぜなら,私は今人生のこの瞬間を鮮明に記憶していて,彼との記憶をこれからも蓄積していきたい。そんな沙良の思いが伝わってくるかのような一文に,不倫への抗えない魅力夫婦という未完成な関係はいつでも瓦解するという警鐘であると感じました。

まとめ

 いかがでしたでしょうか?

 憐憫とは憐れみの気持ちのことを指しますが,皆さんはこの登場人物たちを哀れに思うでしょうか? 相手に哀れみを覚えるのはいいですが,現実の,目の前の人間をしっかり愛せているでしょうか?

 人のふり見て我がふり直せという慣用句があるように,その小説を読んで自分の愛情は本物なのか確かめてみるのも良いでしょう。

 さて,最後まで柏木はわからずじまいですが,実際に読んでみると柏木も歴とした,沙良たちと同じような人間であることが伺えます。それは皆さん自身の目で確かめてみてはいかがでしょうか?

 Amazonでも販売されているので,よければお手をとって読んでみてください! それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました