
孤食とは、一人で孤独に食事をすることだ。
数年前から家庭での孤食が問題になっている。両親が共働きで夕食を基本一人で食べる子どもの増加は、もはや止めようがない。少しでも緩和させようと社会が動いているのは確かだが、格段に改善されているわけではない。
しかし、いつも孤食というわけではなく、仕事を早く切り上げて子どもと一緒に食事する親もいる。また、その時間を確実に確保しようと努めている。子どもにとっては孤食とは、食育において致命的であるのは確かだ。だから、その状況を作らないようにすることは重要だ。
ただ、独身の社会人はある意味もっと悲惨かもしれない。仕事から帰って自炊をしようが、外食をしようが大半は一人で夕食を取るだろう。その際、パートナーとなるのは料理ではなくスマートフォンだ。SNSや動画を見ながら料理をいただく。果たして、その者の味覚は正常に機能しているのだろうか。脳がスマホから得られるドーパミンによって食事から得るべき満足感を阻害している。食事が生命維持をするためだけの行為に成り下がっている。
本来、食べるとは生きるために命をいただく行為だ。狩猟を覚えたホモサピエンスから人類は進化し、食べることから食事という概念に変化した。それは、人が食事をより美味しくいただくために様々な食材や調味料を使用して調理することで、人々の幸福に貢献するものとなった。それは生きるためだけに食べる他の動物とは違う、人間唯一の特権と言っていい(なんて表現したら傲慢だろうか)。
今こそ、我々人類だけが享受できる食事の恩恵を存分に得るために、食事に集中することを覚えようではないか。外食した時に周りを見渡すといい。一人で食事している人間はもちろん、きっと複数人でテーブルを囲っている集団でさえスマホを操作している人がいるはずだ。
目の前の食事を見てみよう。使われている食材は? その状態は? 彩りは?
次は香りを嗅いでみよう。ドレッシングの酸っぱい香り? にんにくの香ばしい匂い? クリームの甘い匂い?
ついに料理を口に運んでみよう。食感は? 酸味があるのか、それとも塩味が強いのか? 喉を通った際に残る後味は?
情報を一つ一つ分解して考えるだけで、その料理の解像度は大きく変わるはずだ。そして、食材や生産者に感謝を覚え、世界への理解がまた深まったと思わないか? この世は便利になった。同時に便利なものに支配されるようになった。今一度、その支配から解放され、本来あるべき人間の姿を取り戻してみようではないか。
これは、食事から始める革命だ。
これが学生時代に厨二病を拗らせた人間の末路である。

