【自己を見つめる】自分を俯瞰できるほど、人は自分に絶望できない【エッセイ】

エッセイ

 自分ができるのに他人ができないのを見ると、苛立ち若しくは優越感を覚えないだろうか。自分ができるんだから他人も同じようにできるだろう! と。

 そこには自分に対しての謙虚さ、というより卑屈さが見えると共に、こんなこともできないのかと他人を下に見る優越感が入り混じっている。

 これほど酷い人間がいるとは思えないかもしれない。しかし、案外そんな人間は身近に潜んでいる。仕事の職場が特にそうだ。同じ目的をもって会社の利益を上げようとしているのだから、部署が一緒ならば業務内容は大して変わらないだろう。役職が違うのはあるが、少なくともお偉い立場の人間だって、新入社員時代は平社員を経験しているのだから、苦労や悩みを知っているはずなのだ。だのに、自分と同じことができないと他者を傷つける。

 その原因は、自分を俯瞰できていないことにある。自分の欠陥を見えないようにするために、他人の欠点を見つけようとする。人はポジティブな一面よりもネガティブな一面を探してしまう。何故なら、人は自分より下の存在を見つけ安心したいからだ。

 性善説を信じたいものだが、悲しいかな、本当は性悪説が正しい(自説)。赤ん坊はお腹が空いたり機嫌が悪いと泣いて母親を服従する。子どもは自分の都合通りいかないとぐずる。我儘は他人を顧みず自分の利益だけを求める状態である。他人を傷つける者は、極端な話、脳みそが赤ん坊のまま成長できていない。というより、日々のストレスから逃れるためにあえて退化しているのかもしれない。

 では自分本位のスタンスはどのように変わっていくのか。それは躾と教育に限る。集団社会を快適に生き抜くため、より素晴らしい人格を形成するため、さまざまな大人から教えてもらう。正しい躾と教育を受けて、元々歪んでいた人格が人間らしく矯正されていく。大人になると、自我が確立し欠点を変えることが難しいが、それも周りから教えてもらって自信が気づくしかないのだ。気づいた上で、「自分は酷い人間だ」と絶望する。そうなれば、そいつは立派な大人に一歩近づくことができるのだ。

 絶望こそ、人が成長するエッセンスなのだ。

 

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