戦後昭和の日本には、不良や無鉄砲な社会人が多かった。
学校のガラスを割ったりバイクで校舎を走り回ったり、ノルマのために昼夜問わず働かせたり罵詈雑言を浴びせたりと、今では考えられない姿が多く見られた。

当時の学校教育は、現代の視点から見るとやや押し付けがましいものが多かったようだ。
「このようにすべきである」だとか、「感謝しなければならない」といったことは言われるが、なぜそうするべきなのかという根本的な問いを突き詰めることはしていなかった。
現代はアクティブラーニング(主体的に考えて学ぶこと)が主流になっており、昭和の教育とは大きく変化しているのは当然だ。道徳の授業も軽視されがちだったのでなおのことである。
何より、それらを教える教師が体罰や過激な指導などをしていたのだから、そのような姿を見た子どもの人格が歪んでしまうのは仕方ないとも言える。
逆に、そんな大人の圧力があったからこそ、簡単には心が折れない人間が出来上がったのも事実だ(その姿が正しいかは置いといて)。
今の日本人の姿は、他人を重んじようとする人が増えとても素晴らしいと思う。

と、盲目的に断言することはできない。
一言で表すと、「優しい」のである。思いやりと協調性をもつことは全くもって悪いことではない。他人と力を合わせて作り上げるのが社会であり、しっかりと機能させるにはそれぞれ個人が生産的な活動をする必要があるのだから、絶対にもっていなくてはいけない心である。
そんな社会だからこそ、競争力は減少した。
スイスの国際経営開発研究所(IMD)が毎年発表している「世界競争力ランキング」では、現在30から35位を推移しているが、1989年から1992年、つまりバブル期においては世界1位だったのだ。

低迷の原因は、意思決定のスピードのなさや起業精神の減少に寄るところが多い。
過去にもっていた力が徐々に衰えているのも事実として受け止めなくてはならない。
社会は何かが発達すると、知らぬうちにもっていたものを失っていく。仕方ないと片付けるのではなく、失ったことを自覚するだけで、明日起こすべき行動も違ってくる。
失っていることを理解し、今もっている力を最大限に活用する。それが今の日本に求められているのではないだろうか。


