小・中学生の頃から小説を書くのに夢中になっていた。
作文用紙に文字を書くことから始まり、パソコンでキーボードを打つことを覚えてからは文字を綴っていくスピードも増し、子どもながらの創作意欲は留まることを知らなかった。
しかし、物語ひとつ書き終えることはなく飽きが来てしまい、未完の物語も数を知れない。
ただ一つ言えることは、誰に評価されるわけでもない駄作を作り上げることは苦ではなかった。それは他人の評価など一切気にすることなく、創作そのものが楽しいと感じていたからだ。実のところはファンタジー漫画を描きたかったが、あいにく画力もセンスもなく、技術を磨こうとしていなかったものの代替品が小説だったのだ。
代わりであっても楽しかったことに変わりなかった。
歳を重ねて思考も社会的立場も変化してくると、やけに他人の目を気にするようになった。大人としてふさわしい振る舞いを求められたり、一定の尊敬を得たいという承認欲求が生まれたりするからだ。私に限らず皆が一度はもつ感情ではないだろうか。
それに併せて、自分の創作品を他人に見せるのが非常に恥ずかしいと強く思うようになったのだ(高校生の時からその感情は芽生えていたが)。
子どもの世界とは、自身の脳内と未熟な他の子どもたちと作り上げていくものだ。だから、自分が作ったものに恥など覚えないし、むしろ他人に見せて評価されたいと思うのだ。
一方、大人はどうだろう。自分が作ったものを他人に見せるなど、よほどの自信作でなければ恥ずかしさは拭えないのではないか。なぜなら、大人であるから一定の技術を求められるもので、あまりに不格好な作品には恥ずかしさしか覚えないからだ。
私はサイバーパンクの力を借りて素性が見えないことで、エッセイを公表することができているが、本来の素顔を見せた上での活動は難しい。
他人から良い評価を受けた時に初めて自身の作品から恥ずかしさが消えるのだ。
だからこそ思う。
継続しなければ何も産まないと。
恥に耐えかねたり、技術が伸びずに挫折したりして、恥を抱えたまま作品を埋没させるのは非常に勿体無い。もしかしたら、世界がまだ見ぬ芸術やセンスが隠れているかも知れないのに。
他の記事でも書いたが、創作こそ人間の特権なのだ。

